これまでと、これからと
去年12月からリゾートバイトで北海道に来てる
訳だけど、3月頭には帰るからもうすぐ折り返し地点を通過する。
来てみて初めて分かったけど、リゾバの人の人懐っこさったら半端ない。
みんな距離を詰めるのが上手いし、ほぼ誰とでもすぐ仲良くなる。そして優しい。
コンビニは車で30分。スーパーも1時間弱かかるこの不便な立地。
不便な環境は人を優しくさせるんだろうか。
そういう風に考えたりもするが、きっとそれだけではないだろう。
ともかく、人間関係が良いとキツイ仕事も楽しくなるんだなって発見した。
はい、ここ重要。テストに出ますよー!
総じて、魅力的な人にここでたくさん出会う事ができた。
(※ここでいう魅力的、とは内面のことを指します)
(※勿論外見が魅力的な人もたくさんおります
若い子かわいい(ヨダレ垂らしてる顔))
さて、ここでの会話のネタとして定番なのが
・出身地
・ここに来る前は何をしてたのか
・ここでの任期が終わったら次は何をするのか
この三つ。
中でも真ん中の質問をするのが特に好きだ。
別のリゾートバイトをしていた、
ワーホリで数年間海外にいた、
会社を休んで来てる、
大学の授業を受けつつ働きに来てる、etc...
彼らの話に耳を傾けていると、まるで冒険譚を聞いているかのようで心躍る。
そっか、そんな生き方があるんだ、と。
自分には無かった視点を発見するのはとても刺激になる。
と同時に、彼らの、特に同年代〜年上の方々の今後について心配になったりもする
…100%余計なお世話だろうけど。
きっと自分の境遇と重なりやすいからだと思う。
彼らはこれからどこに向かうのか?
何をして生きていくのか?
結婚は?
家族は?
両親は?
・
・
・
んで、俺は?
少し脱線するけど、結婚や家族計画について考える時、自分がゲイであることを言い訳にしっかり考えることを放棄しがちな癖が俺にはある
どうせ結婚はできないし
どうせ子供は持たないだろうし
という感じ。
同性婚の普及も少しずつ進んでるし、子供だって持つ方法がない訳じゃない。
世間も理解を示しはじめてる。
でも心のどこかで未だに諦めぐせがついていることを否定できない。てやんでい。
所帯を持たないという選択。
(決してゲイに限ったことではないが、)
良く言えば、背負うものがない。身軽。
悪く言えば、背負えない。孤独の道。
物事は常に表裏一体である。
何かを背負うことが正、という訳ではない。
ただ、自分の事だけ考えて生きていって良いのかと聞かれるとそれはそれで疑問が残る。
もやもや。もーやもや。よもやよもや。
(独身の人が皆自分の事しか考えてないっていう主張ではないです。念のため。)
生き方は自由。
これまでの人生で少しずつ、少しずつ学んできた筈なんだけど。。。
やはりまだ心のどこかで囚われてるんだろうか
人と比べて、劣等感を覚えることにも。
結婚→子育て→老後
世間が呈する理想的な人生ってものにも。
人と話して自由な生き方を知れば知るほど、
自分の中の不自由に気付かされていく。
気付かされる度、わからなくなる。
それまで気づかなかった不自由に気づき虚しくなる。
それでも、自由に生きたいと思う。
知りたいと願う。
生きられるだろうか、この俺が。
自分の足で。自分の手で。自由に。
不安になる。恐怖する。
なかなか一歩踏み出せないでいる。
時間ばかり経っていく。
それでも、自由な生き方を求めてやまない。
なぜだろうか。理由はわからない。
ただ世間体という糸で絡まった心を解く様に求めている。
いつかこの糸が解けたら、
俺は一体どういう選択をするんだろう。
自由って怖いな。
でも不自由さに囚われ続けるのはもっと怖いな。
福利厚生で使える露天風呂とサウナを行き来しながら、休日の今日、そんなことを考えてました。
身体は整った。
心もこんな風に整えていけたら。
嗚呼、雪見風呂最高!
ちゃんちゃん。